2016年10月19日水曜日

親切心って実際、何をすればいいんだろう

「親切」という言葉そのものがクオリティが高いので、何かハイレベルなことをしなければならないのでは、と思うことがある。

でも、親切心は持っているだけでは何も伝わらないであろうし、かといってそれをおおっぴらに全面に押し出すと今度は嘘っぽくなってしまう。

そういった葛藤があると、なかなか行動に移すのも難しくなる。

ただ、最近感じたのがそこまでハイレベルなものだとか、変に複雑に考えるものではないのではないだろうかと思うようになった。

というのも、先日たまたまバスに乗っていたのだが、歩道を犬と散歩しているまだ三十代くらいの男性が何かを拾っていた。当初遠目からだと、犬のうんちかなと思っていたのだが、通り過ぎざまによく見てみると道に転がっていた空き缶を拾って袋に入れていた。

そこで納得したのが、この人は犬の散歩にうんち袋を持ち歩くから、それと別で袋を持っていって道に捨ててあるゴミも拾うという動作を日常で取り入れていたのだと思った。犬の散歩の「ついで」、だけど「ついでではない」。

こういう日常の中でこそ、ささやかでも、こういった姿を見せなくても、たまたま見かけた自分が偉いな、すごいな、とか感動を覚えたり、自分も日常でこういった親切心を取り入れられないかな、と思えるようになる。


親切心というのは、無理にハイレベルであろうとしなくても、日常のふとした瞬間や習慣的に無理なく出来る、ちょっとした行動なのだなと実感したひと時だった。